あの日見た光景
台風19号の被害がどんどん出ています。
被災された皆様にお見舞い申し上げます。
1日でも早く、これまで通りの生活を取り戻せますように。
今回の台風19号は私にとって、記憶に深く刻まれる台風になりました。
私は、首都圏に住んでまして、今回、かなり報道された多摩川から程近いところに住んでいます。川の位置によっては直線距離で1キロ圏内です。
台風の日は朝から大雨。
今回の台風では、河川の増水による災害が懸念されていましたので、朝からチェックしていました。
Yahooで河川の水位を確認できるのですが、
平常表示から午前中の段階で水防団待機準備の4.5mを超え、さらに水かさは増え、氾濫注意水位の6mを、そして避難判断水位の7mを超え、あっという間に氾濫危険水位へ。
ものの1時間半の間に1.7mもの水位が上がって行く恐怖。水かさ10m超えという、見たこともない水位にいつ氾濫してもおかしくないという恐怖。
午前中から携帯へ、そしてTVで鳴り響く緊急速報。加えて台風上陸の本番を迎えるのはこれからという状況に気が遠くなる思いでした。
Twitterを見ると、そこかしこで氾濫した?冠水してる?情報が錯綜しすぎていて、どれが本当なのかフェイクなのか分からない。
そして、本当だとしても報道が追いついていないため真偽を確認しようがない。
多摩川と一口に言っても、一級河川のため八王子の方から川崎、東京を挟んで流れる一級河川です。どこが氾濫しているのか分からない、、
河川の様子を定点観測できる国交省の提供映像をリアルタイムでチェックして、どのタイミングで避難をするか、緊張した面持ちで家族で確認しておりました。
こんな多摩川見たことがないというほどに荒々しく水を蓄えた川に恐怖を感じましたが、映像を見るにまだいける。そうした判断の元、家の中にいました。
私の家はマンションの1階なので気が気じゃなかったです。
ただ、避難所も土地の高さは変わらないため、そこに逃げるのであれば、まずはマンション2階のラウンジへ。
そう決めていました。そこでもダメなら3階以上の階へ。
下手に台風の最中移動するよりも、垂直避難を選びました。
念のため、非常持ち出し袋は各自が準備、リビングの机上には懐中電灯やランプ、ラジオなど必要なものを準備して。
そして逐一窓の外を確認して。
「幸いなことに家の造り的にドア側を開けると全く風がない状態なので、いざという時の避難はしやすかったように思います」
そしていよいよ台風本番の18半以降。
猛烈に雨風が強くなる。
弟は、推移をチェックして後10センチしか猶予がないと泣きそうですし、居てもたってもいられない様子。
夜になると川の映像も暗くてあまり確認できなくなり。。
そんな中、警戒レベル5の緊急速報が携帯に入り、多摩川氾濫のニュースが流れました。
何がどう起こるのか想像もできない。
ここが氾濫するとなると、うちの方も時間の問題か。。
祈る気持ちで、続報を待ちました。
そうしている間に、弟がTwitterでどうやら家の周りが冠水している写真を拾い始める。。
ただ、この時点ではこれが冠水なのか氾濫によるものなのかが分からない。
母が一通り窓から外を確認して、氾濫ではないとの判断の元、家で待機をしていました。
そして、11時半前、雨風が収まり嘘のような静けさに。。
河川の水位は依然として高く、油断できない状況でしたが、結果として我が家は1階にもかかわらず避難することなく、ありがたいことに被害なく済むことができました。
ただ、私の家の周りは駅近でかなり冠水しているところが多く。深いところでは1.5メートルの深さにも達したようです。
ここ、実はほぼ家から目と鼻の先でした。
ではなぜ、我が家がたまたま無事だったのか。
ハザードマップ上で確認するに、少しだけ小高い位置に建っているマンションだったのです。
そして、マンション地下の貯水槽のお陰かも。
この、たった1m2mでこれほどまでに差が出るなんて。意図して選んだわけではなかったので奇跡に等しかったです。
翌朝の街は泥だらけ。
設備故障で停電の続くマンションや、河川にほど近い家の方は1階部分まで浸水しています。
長野や新潟、東北の方でも続々と被害が出ている。決壊した河川もある。
そんな状況でも普通に世の中は回っている。
今までテレビの中でしか見たことのない光景が初めて自分の身に降りかかった時、1階だから何かあったら浸水覚悟した時。
生命の危機も感じたあの夜。
1日でも早い復旧を願っています。
なによりも人命が一番優先すべきものですから。
結果、お前被災してないやんって思う方もいるかもしれません。
でも、氾濫までの恐怖は一当事者として等しくそこに確かにあった。次は無事かどうかは分からない。ただ、私の記憶には深く刻まれることになりました。
ハザードマップの浸水マップ、今回ドンピシャでした。あれはかなり精緻に作り込まれています。
そして、Twitter等の誰でも気軽に情報発信できるツールは時として報道より先に情報を得ることができますが、情報が錯綜します。
全く違う居住圏の人が悪意あるフェイクニュースを流している場面もありました。
どの情報を正とするか、取捨選択は自分です。下手な情報に踊らされない、正しい目を養う。
これも大事です。
そして、何よりも大切な家族が周りにいて家があって温かい布団で眠れることがどれだけ幸せで尊いことなのか、今になって分かった気がします。人はどんどん欲張りにやってしまう生き物だけど、これさえあれば本来は幸せな生き物なんですね。
この日から、本当は大阪に旅行に行く予定でした。始発から新幹線が運休となったのでやむなしのキャンセルでしたが、もし行けていたら?
私は被害もなく、過ごせたでしょうが離れている家族のことを思うといてもたってもいられなかったでしょう。
結果的に私も恐怖の渦中とはなりましたが、家族と一緒にいられたことは良かったんだと思います。
ハートが強いのか、冷静なのか、ことの重大さが分からないのか笑?ドーンと構えて?いた父。
防災準備万端で、的確に情報把握をして一家の司令塔となってくれた母。
母の行動に一家の全てがかかっていたと思います。
Twitterチェックしまくって情報収集担当になった弟。
そして、私。
心配して連絡をくれた友達たち。連絡取ってるだけで気が紛れて心強かったです。
そして、安全と分かるまで日付を超えて連絡追ってくれてた彼。停電になってテレビ見れない時も連絡してくれようとしていました。
私、、何かできていたかな?
冷静を装いつつパニックになっていただけかな?もしこれが自分の守るべきものができて司令塔にならなきゃいけなかったら?
今回彼に指摘されたようにもっともっと普段から意識を変えておかないといけないなぁ。
被災された方々が一様におっしゃるのは、予想を遥かに超えていた。ここまで来るとは思わなかったというお声。
自然はいつも私たちの想像をあっさりと超えていきます。常に最悪を想定して行動することも大切だと学びました。
ギリギリまで放流の調整をして市民が逃げる時間を作ってくれたダム関係者の方や、安全を確保する堤防の設計に関わっていた人々、これまで防災に勤めてくださった皆さんには本当に頭が上がりません。
あの大きな多摩川が東京で決壊したら…更なる被害が出ていたでしょう。
防災って時として後々の生死を分けるほどの非常に重要なタスクだと思います。
安易に防災担当政務官なんて選ぶもんじゃない。未来の命をつなぐ任務ですから。
きちんと見識のある、自らの言葉で発信力のあるそんな人選をしていただきたいと切に願います。
そして。私の住むエリアは汚水の街と揶揄され、インフラ設備の脆弱性が露呈しました。
エセレブの街などと批判の声にも晒されており、高層マンションの住民(一部、設備故障のため電気水道使えません)も被災者なのに、批判の対象になっています。
住みたい街だったはずのこの街は、他からするとかなり嫌われていたのかな。。汗
色々言われていますが、私はこの街、そして自分の家が大好きです。
また、人々の住みたい街に戻るといいな。
まだまだ被害が続く中、すでに過去のことのような不謹慎なブログとなってしまい申し訳ございません。
ただ、私の感じたリアルを自分の備忘録としてここに書き記しておこうと思いました。
自分の備えや意識の改革、そして微々たる力かもしれませんが、まずは寄付させていただきました。1人でも多くの必要としている人のもとに届きますように。これから私ができることを他にも考えていきたいと思います。